こんにちは、hirokoです。
今日は港区散歩第3弾として、「亀塚公園」と「三田台公園」を紹介します。
どちらも歴史的なことが学べる公園で、写真中心のブログになります。
目次
亀塚公園
名前の通り、亀塚がある公園です。亀塚とは古墳のようなものですが、古墳だと断定できなかったようです。小高い丘になっていて上まで登ることができます。他にカントウタンポポなどの保護区や子供の遊具、広場、大人のための健康器具なんかもあり結構広い公園です。西側は塀に囲われていてとても趣があります。そして公園の東側の入り口はかなり段差があり、長い階段が続いています。
この場所は江戸時代は上野家沼田藩土岐家(こうづけぬまたはんときけ)の下屋敷→明治維新後は皇族華頂の宮(かちょうのみや)邸、その後廃家→内大臣官邸→建物は壊され→戦災→港区立公園と変遷しました。江戸時代は房総の山々を見ることができる景勝地だったようです。そして、東に少し行くと海だったんですね。かなり埋め立てられているのがよくわかります。
また、「更級日記」に見える竹芝寺の伝説地です。何とかして読んでみたいですね!
場所:港区三田四丁目16番20号


タンポポにはセイヨウタンポポと在来タンポポがあって、在来タンポポの中にここに保護されているカントウタンポポとシロバナタンポポがあります。セイヨウタンポポとカントウタンポポは同じ黄色ですが、カントウタンポポの花の下にある緑の「総ほう片」は反り返らず上に向いているのが特徴です。
シロバナタンポポは白い花で、大昔に西日本から持ち込まれたかもしれないものです。


総ほう片が上に向いているの分かりますか?




三田台公園
亀塚公園より南側にあり、華頂の宮(かちょうのみや)邸はここまでありました。
ここには伊皿子貝塚遺跡の発掘調査で見つかった、住居跡と貝層を接着剤で貼り付けて切り取ったものなどを展示している、遺跡公園になっています。また縄文時代の住居跡が復元されていて説明の音声を聞くことができるほか、関東大震災の時に活躍した、今も使うことができる井戸もあります。
農民の多くは古墳時代だけでなく、奈良時代、平安時代になっても竪穴式住居で暮らしていたとは衝撃でした。平安時代なんて、貴族の優雅な生活ばかりクローズアップされますものね。本当に貧富の差は激しかったんですね。
場所:港区三田四丁目17番28号




終わりに
亀塚公園には大人のための健康器具もあるので、健康のために公園に筋トレをしに行ってもいいなと思いました。
三田台公園は住居跡の復元を見るのが楽しいです。
どちらの公園にもトイレもあり、広々としていて、晴れた日なんかには気分転換に行くのに良い場所だと思います。ただし、もう蚊が発生しているのでご注意を!私は今年初めて蚊に刺されました。
最後までお読みいただきありがとうございました(^.^)
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