こんにちは、hirokoです。
今日は8月6日です。毎年この日になると、どこにいても広島に原爆が落とされたのを思い出します。
正確にはわかりませんが、アメリカ人にとっては日本との戦争というと真珠湾の奇襲攻撃を思い出すようですが、私にとっては世界で最初で最後の原爆を落とされた2日間を思い出してしまいます。
私は戦争は知りませんが、親世代は第二次世界大戦の戦時中に生まれ育ちました。でも今までほとんど戦争の話を聞いたことがありません。
日本では、嫌な経験は恥ずかしいこととして隠す傾向にあると思います。なので、原爆症によって今でも苦しんでいる方がいることは最近になって知りました。
その敵国だったアメリカに今いるということは時々複雑な気持ちになります。
最近では放送されているのか分かりませんが、終戦の日に近い日に、テレビで映画『火垂るの墓 (Grave of the fireflies) 』を観ていました。映画でそこまで心を動かされることがない私が、とても悲しい、憤りを感じる映画です。
目次
映画『火垂るの墓』について
野坂昭如さんの自伝的短編小説を高畑勲監督がアニメ映画にして1988年に公開したものです。
兵庫県を舞台に、戦火で親を亡くした14歳の少年、晴太と4歳の妹、節子が出てきます。この子供だけで何とか生活しようとしますが、結局栄養失調で死んでしまいます。
「火垂る」という言葉は火を垂れる虫で蛍のことを表していたり、神戸大空襲のことを表していたりするようですね。
色々な場面でホタルが出てきて、儚い命を象徴しています。
違う見方
『火垂るの墓』を作った野坂昭如さんはこの映画に戦争反対とか戦争のせいで生きていくのが大変だったというのではなく、違う意味を込めたかったのだと知りました。
そして、文芸作品を映画にしたので、観客が映画を観て、何を言いたいのかをくみ取るのだそうです。
野坂さんは「死ぬことは美しく、生きることは醜い」と言っています。
この映画は原作を元に作られているので、本の方もじっくり読んでみたいです。
感想
私は今まで『火垂るの墓』を観て、戦争というのはこんなに何もない幼子の命を奪っていくのだなと思い、戦争は絶対やってはだめだというように観ていました。
でも、野坂さん自身のこの映画に対するメッセージを知り、死ぬことは美しいというよりは、生きることは醜いなと思いました。幼子の妹の節子は純粋に、健気に生きています。そして、そのピュアなまま餓死してしまうところはいつ見ても涙をそそります。
一方、兄清太は生きるためには手段を選ばなくなっています。長い人生生きていくには、純粋でなんかいられないんだなと思います。時には私欲も必要なのかもしれません。
それから、私は戦争も原爆も反対です。戦争は関係のない市井の人たちまで苦しめるだけでなく、ビジネスにもなりうることを知って、ほとほと嫌になりました。
国と国同士だけでなく、同じ国内でも意見が対立することはありますが、早く戦争が全くない世の中になってほしいです。
戦争体験者の世代は老いてきています。今のうちに体験談、事実を聞いておきたいとも思っています。
最後までお読みいただきありがとうございました(^.^)
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